台東区浅草橋 甚内神社

瘧に悩む人を助けよう 高坂甚内

瘧(マラリヤ)の病で死んだ忍者が願ったことは?

瘧に悩む人を助けよう 高坂甚内

(話し手)声優 志月かなでさん

志月かなで

話し手は、若い女性声優さん、志月かなえさん。 彼女を知っている方はその世界に浸れます。彼女を初めて知ったという方は、新しい才能に出会うことができます。その表現力や朗読の力、有名アナウンサーの朗読会などにも負けておりません。 彼女の表現の巧みさを堪能できる東京歴史秘話、ぜひ志月かなでの世界に浸ってください。

1600年に関ケ原の戦いで徳川家康が勝利すると、日本の政治は徳川家を中心に動き始めました。徳川家に戦いを挑む武士はほとんどいなくなり、戦がなくなっていきました。 戦がなくなると、それまで戦を仕事にしてきた人たちが、仕事を失っていきました。仕事を失った人たちの中に、忍者も多くいました。  忍者は戦の時にスパイのような役目をしていました。しかし、戦がなくなってしまえば忍者は必要ありません。そこで、仕事を失った忍者たちは、江戸に集まり、様々な仕事をしながら暮らしていきました。  こうした忍者たちの集団をまとめている人物が江戸にはいました。その名は高坂甚内と言いました。高坂甚内は、もともとは武士で、武田家に仕えた武将である高坂昌信の子供とも孫とも言われていました。  武田家は、徳川政権の創始者である初代将軍の徳川家康が若い頃に戦って、敗れた大名家でした。その武田家が滅亡したあと、徳川家は武田家の武士たちを自分の家臣にしては兵力を強くしました。それが、徳川政権につながったのです。  そのため、武田家の重臣 高坂昌信の子孫に対しては敬意を払っていました。高坂甚内も忍者たちをまとめて、江戸の治安を守るために貢献していました。 忍者たちですから、情報を集めたりすることは簡単だったのです。 高坂甚内には夢がありました。それは、かつて高坂昌信が仕えていた武田家復活させることでした。そのために、徳川家に協力したのです。 しかし、徳川政権は。次第に高坂甚内とその手下の忍者たちを危険視するようになっていきました。なぜかと言えば、高坂甚内が手下の忍者たちを使って徳川家を倒そうとするかも知れないと疑ったからです。 どうにかして高坂甚内を捕まえようと徳川政権の役人たちは考えますが、高坂甚内を恐れて捕まえることはできませんでした。 しかし、高坂甚内も不運に見舞われました。瘧という病気にかかってしまったのです。瘧とは今でいう、マラリアです。蚊が人にマラリア原虫を移すことで罹ってしまう病気は、当時は非常に恐れられました。さしもの高坂甚内も、熱が出て動けなくなってしまいました。これを知った役人たちは、今が高坂甚内を捕らえるチャンスと考えて、高坂甚内の屋敷に踏み込んで、高坂甚内とその手下の忍者たちを捕まえました。 処刑が決まった高坂甚内は、覚悟を決めていました。何か最後に言い残すことはないかという役人の問いに、高坂甚内は恨み言も怒りに言わず、ある願いを申し出ました。 高坂甚内が最後に言い残した願いとは、いったいなんだったのでしょうか。      

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