墨田区亀沢 緑町公園 江川太郎左衛門英龍の邸宅跡

幕末のスーパーマン 江川英龍

日本の近代化に命を懸けた男、英龍の最期の言葉は「馬ひけい」。 

幕末のスーパーマン 江川英龍

(話し手)声優 志月かなでさん

志月かなで

話し手は、若い女性声優さん、志月かなえさん。 彼女を知っている方はその世界に浸れます。彼女を初めて知ったという方は、新しい才能に出会うことができます。その表現力や朗読の力、有名アナウンサーの朗読会などにも負けておりません。 彼女の表現の巧みさを堪能できる東京歴史秘話、ぜひ志月かなでの世界に浸ってください。

歴史上、多彩な業績を残した人物が何人もいます。レオナルド・ダ・ヴィンチなどはその一例でしょう。芸術家として優れた作品を残す一方で、科学者として物理や地学、天文学、工学などなどあらゆる分野で才能を発揮した人物です。 日本でも、平賀源内という人物がそれにあたるでしょう。 科学者として、発電機エレキテルを独学で修復し、日本で初めて電気を発生させました。また、文学者としても才能を発揮し、平賀源内の記した作品は、歌舞伎や浄瑠璃などで上演されました。 そして、徳川政権の末期に現れた江川英龍も、多方面で才能を発揮した天才でした。 江川英龍は、伊豆(現在の静岡県の一部)韮山の代官を代々務める江川家に生まれました。代官とは徳川将軍の治める土地を将軍に代わって統治する役人のことです。伊豆は船がよく通る場所で、海運の要衝でした。そのため、徳川政権は他の大名の領地とせずに、直接支配を行ったのです。 江川英龍は政治にも気を配り、天然痘の予防に役立つ種痘を領民に勧めるなどしました。伊豆韮山の領民は江川英龍を尊敬していました。 こうした中で、江川英龍は西洋の学問も学び、西洋流の軍学を導入していきました。また、砲術も勉強し、国防の意識も高めていきました。 1800年代に入ると、日本の沿岸には外国船がたびたび姿を現しました。 江川英龍は、海に面した伊豆を治めていることから国防論を徳川政権に提出します。これが徳川政権の首脳たちの目に留まり、江川英龍は徳川政権のブレーンとして活躍をしていくことになりました。 西洋流の砲術を長崎で学び、伊豆で指導を行ったり、砲身を作るための反射炉を作ったりと、徳川政権の中でも画期的な事業を次々と成し遂げていきました。 江川英龍は西洋諸国への危機感を抱きながら、その準備が進まない徳川政権にいら立ちを覚えていましたが、1853年になって江川英龍が恐れていた事態が発生しました。アメリカのペリーが艦隊を率いて、日本にやってきたのです。目的は通商でしたが、これまでと違って圧力をかけてきたのです。対応を間違えば、戦になります。そして、戦になったらアメリカ艦隊は容易に江戸湾に侵入し、日本は敗れることが予想されました。 徳川政権は江川英龍を急きょ、江戸湾を守るための砲台場の建設を命じました。しかも、ペリーが再びやってくる一年以内に築けという無理な話でした。しかし、江川英龍は、突貫工事でこの難題を切り抜けたのです。 この他、江川英龍の業績や才能を本編で紹介しています。幕末のスーパーマン 江川英龍のお話をぜひご覧になってください。      

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