荒川区南千住 回向院 

死んでも恋人を守った女性 滝本いの

命をかけて恋人をまもった女性、”滝本いの”の人生

死んでも恋人を守った女性 滝本いの

(話し手)声優 志月かなでさん

志月かなで

話し手は、若い女性声優さん、志月かなえさん。 彼女を知っている方はその世界に浸れます。彼女を初めて知ったという方は、新しい才能に出会うことができます。その表現力や朗読の力、有名アナウンサーの朗読会などにも負けておりません。 彼女の表現の巧みさを堪能できる東京歴史秘話、ぜひ志月かなでの世界に浸ってください。

徳川政権は200年余り、海禁政策(日本では鎖国といいます)を続け、外国との交易を大きく制限してきました。特に西洋諸国との交易はオランダだけに制限し、交易も長崎の埋め立て地である出島だけで行ってきました。 しかし、1800年代になって、オランダ以外の西洋諸国も日本との交易を求めてきました。特に強硬だったのがアメリカでした。アメリカは太平洋で捕鯨に力を入れていて、その捕鯨船の補給場所として、日本の位置は便利だったので、日本との交易を望んでいたのです。 その交渉姿勢は、蒸気船の軍艦を4隻も仕立ててやってくるという圧力を感じさせるものでした。この圧力に屈し、アメリカやイギリス、フランス、ロシア、オランダとの間で通商条約を結んだのが、徳川政権の大老(大統領のような存在)の井伊直弼でした。 こうして、海外との交易が始まったのですが、通商条約は大変不平等なものでした。また、金の相場が海外よりも有利だったので、日本の金が海外に流出し、結果としてインフレが起こるなど経済の混乱も生じました。 こうした混乱の中で、外国人への反発心をもつ人々を刺激し、攘夷(外国人排斥)を主張する人たちが増えました。井伊直弼は、こうした反対派に対して弾圧で臨み、反対派の人々を粛正したのです。 井伊直弼の反対派の中に、水戸藩(現在の茨城県水戸市周辺)の武士である関鉄之助がいました。関鉄之助は、混乱の原因を招いた井伊直弼を排除しなければならないと考えたのです。 しかし、表立って動くことは難しいものでした。悩む関鉄之助は、ある日、吉原で遊女として働いていたいのという女性に出会いました。いのも、家が貧しくて吉原に売られた境遇でした。こうした苦しい生活を強いられる人々を助けたいと考えていました。そして、いのも、関鉄之助の想いを知って、自分のような辛い人生を歩む人が出ない世の中になってほしいと思いました。 関鉄之助といのは、いつしか互いに魅かれあっていきました。 1860年3月3日、井伊直弼が江戸城に向かう途中の桜田門において、暗殺されるという事件が発生しました。桜田門外の変と言います。この事件には水戸藩の武士と薩摩藩(現在の鹿児島県)の武士が関わっていました。そして、この事件をリードした人物こそが関鉄之助でした。 徳川政権は、威信にかけて犯人を捕らえようとしました。次々と犯人が捕らえられ、あるいは自殺していくなかで、関鉄之助の行方はわかりませんでした。徳川政権は、ついにいのを捉えて、関鉄之助の行方を喋らせようとしました。いのと関鉄之助の運命はいかに。      

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