新宿

東京最大の街の誕生

新宿が東京最大の街になった歴史秘話は?

東京最大の街の誕生

(話し手)声優 志月かなでさん

志月かなで

話し手は、若い女性声優さん、志月かなえさん。 彼女を知っている方はその世界に浸れます。彼女を初めて知ったという方は、新しい才能に出会うことができます。その表現力や朗読の力、有名アナウンサーの朗読会などにも負けておりません。 彼女の表現の巧みさを堪能できる東京歴史秘話、ぜひ志月かなでの世界に浸ってください。

宿とは宿場町のことです。宿場町は旅人が旅の途中で、宿泊や休息するために整備された町のことです。 江戸時代、日本橋を起点して日本各地を結ぶ街道が整備されました。その大きな街道に五街道というのがあります。東海道、中山道、奥州街道、日光街道、甲州街道です。このうち、甲斐国(現在の山梨県)と江戸を結ぶ甲州街道に整備された宿場町が新宿でした。 もともとは日本橋から最初の宿場町は高井戸でした。しかし、他の街道と比べて最初の宿場町にしては距離があったため、不便に感じる旅人が多かったのです。そこで、新しい宿場町を作ろうと町人たちが力を合わせて整備したのが「新宿」でした。「新」しい「宿」場なので新宿となりました。 さて、この新宿ですが、もともとは内藤家というお殿様の屋敷があった土地でした。その土地の一部を利用して作られたのです。そのため、新宿は内藤新宿とも呼ばれました。 しかし、徳川政権が倒れ武士の時代が終わると、新宿は新しく発足した明治政府のものになりました。この新宿の土地の一部を利用して、海外からの動植物を日本に入れてもよいかどうかを試験する場所として「内藤新宿試験場」を建設しました。これが、新宿御苑の始まりです。この新宿御苑から生まれた人気果物がイチゴです。フランスから仕入れたイチゴを品種改良して国産イチゴを作ったのです。現在、日本で様々な種類のイチゴが作られていますが、そのルーツとなるイチゴは新宿で生まれたのです。 そして、新宿が大きく発展するきっかけになったのが、1923年の関東大震災でした。新宿は地盤の固い武蔵野台地に位置していたため、地震の被害をあまり受けませんでした。その前から、鉄道の整備が進められていたこともあり、便利な土地になっていました。そこで、都心部からデパートや劇場、映画館などが進出してきて繁華街、歓楽街として大きく発展していくことになったのです。 新宿には多くの顔があります。そうした雑多な感じが今の新宿の町の雰囲気を醸しでしているといえるでしょう。新宿の歩んだ歴史を本編でご確認ください。      

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