中央区人形町 三光稲荷

盗んだ金を貧乏人に配った 義賊 鼠小僧次郎吉

盗んだ金を庶民に分け与えた義賊・ねずみ小僧の生い立ち

盗んだ金を貧乏人に配った 義賊 鼠小僧次郎吉

(話し手)講談師 神田山緑さん

神田山緑

話し手は、NHKでも講談をお話しをされている、新進気鋭の講談師、江戸の香りをたっぷりと含んだその話しっぷりは見事、真打、神田山緑さんです。

日本の歴史の中で最も知られた大泥棒と言えば、石川五右衛門と鼠小僧次郎吉の2人でしょう。 石川五右衛門は、名古屋城金の鯱を盗もうとしたり、秀吉の暗殺を謀ったりととにかくスケールが大きい大泥棒でした。豊臣秀吉の配下に捕まえられて、釜茹での刑で処刑される段になって、「世の中に 濱の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ」という時世を残したと伝えられています。 どのような世の中になろうとも、盗人を働く人間はいるということを石川五右衛門は叫んだのです。 一方、その想いを受け継いだわけではないでしょうが、徳川政権下に江戸時代に大泥棒として名を馳せたのが鼠小僧次郎吉でした。そして、庶民の間に盗んだ金を貧しい人たちに分け与えた義賊というイメージが浸透しています。 なぜかというと、実は鼠小僧次郎吉は、捕まった時に盗んだ金が全く残っていなかったのです。大した金額でなければ、使い果たしてしまったということで何の不思議もないのでしょうが、何せ鼠小僧次郎吉が盗んだ金が半端なかった。 鼠小僧次郎吉が狙ったのは、武家屋敷でした。入って武家屋敷71軒、犯行回数90回、盗んだ総額約3000両とも言われています。これは、1両を10万円で計算すると、何と 3億円に上ります。一説には1万2千両という話もあります、これだったら12億円以上となります。しかもこれはきっと氷山の一角。鼠小僧の被害を受けても、武士の対面から隠している家も結構あっただろうと言われています。もしそうならば、盗んだ総額はもっと大きいものになっていました。 これだけの金があれば、何か贅沢なものを買ったりしても不思議ではないのですが、鼠小僧次郎吉の家は、庶民が住む長屋でそれだけの財産を隠せるような場所はありません。金銀財宝を買い込んでいたわけでもありませんでした。本当に何も残っていなかったのです。 そこから、江戸の町の人々は鼠小僧が盗んだ金を貧しい人たちに分け与えていたんだという噂が生まれました。そうでないと、これだけの金を盗みながら何も残っていないことに説明がつかないと考えたのです。 まあ、それが本当かどうかはわかりませんが、鼠小僧が盗んだ相手は普段威張り散らしている武士たちでしたので、庶民は鼠小僧の犯行に密かに拍手喝さいを送り、自分たちのヒーローにしたのです。 鼠小僧は処刑されますが、その辞世の句は「天が下 古き例は白波の 身にぞ鼠と 現われにける」であったと伝わっています。 さて、義賊鼠小僧が本当か嘘かは、今回向院に眠っているご本人に聞くことができないのでわかりませんが、今に伝わる鼠小僧次郎吉が最初の犯行に及んだ話を本編でお楽しみください。      

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