多摩川
民話 虹の渡し船
助けた鯉の恩返しは、虹色に輝く不思議な光の玉
(話し手)落語家 桂竹千代さん
話し手は、日本の古代史にめっぽう詳しい噺家、桂竹千代さんです。なんと大学院で古代文学を勉強した異色の噺家。 噺家の誰よりも歴史を実直に学んだ桂竹千代の語り口は、庶民の人情を伝える際にも、偉人の物語を伝える際にも、知識に裏打ちされた自信を感じさせる。
まだ多摩川に橋が一本もかかっていなかったころのお話です。
昔は大きな川に橋を架けることはあまりなかったのです。なぜかと言いますと、川は町を守るための防御施設になるからでした。
戦争になって川を渡るためには、船が必要になります。その船を手配するのに時間がかかりますし、川を渡るときは鉄砲や弓矢の的にしやすいのです。川は敵を食い止めることに役立ちました。そのため、大きな川ほど橋が架かっていませんでした。
しかし、それは戦争の時のお話です。通常では旅をする人にとってはものすごく不便でした。
では、旅人たちはどうやって渡ったかと言いますと、船着き場はあったので船で対岸まで渡ったのです。また、中には肩車で人を乗せて向こう岸まで渡す人もいました。
こうした人たちによって、旅人は川の向こう岸まで渡っていたのです。
船頭さんは旅人にとっては必要な仕事だったので、収入はかなりあったようです。
しかし、このお話に出てくる船頭の三吉は、貧乏でした。なぜかというと、三吉はとても優しかったからです。
けが人や病人が出れば、仕事そっちのけで手当てをしてやりました。その間は仕事ができないので、お客さんは他の船頭さんの船に乗ってしまいます。また、お金がないという人がいたら三吉は、無料で渡してやったりしていました。そのため、稼ぎがあまり上がらず、いつも貧乏な暮らしをしていました。
その三吉が夜に船を出していると、奇妙なことが起こりました。三吉の船の周りを光の玉が動き回るようになったのです。一体の何の光なのか三吉にはわかりませんでした。
翌日も夜に船を出すと、三吉の船の周りを光の玉がくるくる回りだすのです。
三吉がよく光の玉を見ていると、光の玉を提灯のようにして脇に鯉を抱えた女の人が現れました。
その女の人は、「自分は多摩川に住む鯉の化身(別の生き物が人間の恰好をしてでてきたもの)で、夫の鯉が腹痛で苦しんでいます。あなたの優しさはいつも川から見ていて知っています。どうか夫を助けてください」と訴えてきたのです。
三吉は驚きましたが、困っている相手を放っておくことはできません。三吉は、鯉の様子を見てやると、釣り針を飲み込んだことが腹痛の原因だとわかりました。そこで、腹の中に手を突っ込んで釣り針を抜いてやりました。すると、鯉の腹痛は治まったのです。
さて、この後、鯉の夫婦は三吉に奇跡を起こします。三吉に何が起こっていくのでしょうか。