板橋区石神井川 下頭橋
民話 けちんぼ六さん
まったく金を使わない「けちんぼ」には、ある理由があった
(話し手)落語家 三遊亭遊かりさん
話し手は、女性噺家、三遊亭遊かりさんです。艶のある声は生まれ持った賜物。噺家になる前に経験した10年の様々な人生経験が肥しとなって、遊かりさんのお話しは、心の奥底に響きます。生まれ持ってのまさに話し家、噺家、三遊亭遊かりさんです。
日本の昔話によく出てくる職業の1つに乞食があります。乞食を職業というのもおかしなものですが、重要な役割を持っていることも多いのです。
乞食とは食べ物を乞うと書きます。それは、他人からの施しを受ける人ということを意味しています。しかし、他人からの施しを受けることは、仏教の修行の1つとしてあることから、昔話の中では、乞食を神様や仏様の化身として捉え、乞食に親切にした人が神様や仏様からの恩恵に浴する話もあります。
そのため、乞食も昔話によく出てくるのです。
また、昔はこうした貧しい人たちは河原に住んでいました。なぜかと言いますと、昔は治水技術が発達しておらず、大雨でたびたび川が氾濫し、洪水が起きました。そのため河原はほとんど開発されませんでした。何か建物を建てても、すぐに洪水で流されてしまうからでした。そのため、家のない人たちがまとまって住めるだけの広さの土地が残っていたため、河原に貧しい人たちが住むようになっていったのです。
こうした背景から、乞食が河原に住んだり、橋の上で物乞いをしたりする姿が昔話にはよく描かれています。
昔、現在の板橋区石神井川にかかる橋の1つに下頭橋という橋がありました。この橋の近くにも乞食がたくさん住んでいました。この乞食の中で、六さんという名の年よりの乞食がいました。この橋は、重要な街道にあたっていたので、毎日多くの人が通りました。そのため乞食が「お金をください」というと小銭などを分け与える人が多く、乞食でもなんとか生活できたのです。
この六さんも、多くの人から施しを受けて暮らしていました。六さんは人格がよく、子どものからかわれても決して怒ったりしませんでした。そのため、六さんは町の人と仲良く暮らしていたのです。
ところがある日、六さんは死んでしまいました。年よりの乞食だったので、寿命が来たのかも知れません。他の乞食の仲間も、六さんの死を悲しみました。そして、みんなで六さんの葬式を出してやりました。葬式も終わって、六さんが住んでいた小屋の片づけていると、何と床下から大量の小銭が入った壺が見つかったのです。確かに六さんは、ほとんど買い物をせずに暮らしていたので、多少の貯えがあっても不思議ではなかったのですが、みなが驚くほどの貯えを持っていたのです。みな、これだけのお金を持っていたら乞食なんてしなくても暮らしていけただろうにと不思議に思いました。
すると、このお金が入った壺の中に、六さんの遺言が残されていたのです。
皆を感動させた六さんの遺言とは一体そういった内容だったんでしょうか。