台東区 上野動物園
象の消えた上野動物園
第二次世界大戦の最中、動物園の動物を処分する命令が下る
(話し手)落語家 三遊亭遊かりさん
話し手は、女性噺家、三遊亭遊かりさんです。艶のある声は生まれ持った賜物。噺家になる前に経験した10年の様々な人生経験が肥しとなって、遊かりさんのお話しは、心の奥底に響きます。生まれ持ってのまさに話し家、噺家、三遊亭遊かりさんです。
東京都台東区にある上野動物園は、1882年に開園した日本で最初の動物園です。年間の入園者数は、約300万人を数える日本の動物園の中で、最も入園者の多い動物園でもあります。
現在(2017年11月現在)、上野動物園にはジャイアントパンダが飼育されているほか、動物園でもおなじみのライオンやヒョウ、トラなどの猛獣、そしてカバや象、キリンと言った人気の動物など500種余りの動物が飼育されています。動物の数は3000頭を超えます。
家族でのレジャーや恋人同士のデートに動物園を訪れる人も多く、さらには画学生が絵を描く姿や動物写真を撮ろうとする人の姿も見られます。みんなが思い思いに過ごせる空間として、上野動物園は人気の場所です。
この上野動物園では、象の檻も人気の場所です。長い鼻を使って餌を食べ、水を飲む姿を見ると、子どもたちは喜びます。象は、昔から動物園の人気の動物なのです。
この象の檻の近くに知る人ぞ知る場所があります。それが、上野動物園で飼育中に死んだ動物を慰霊する石碑です。生き物を飼育する動物園では、残念ながら飼育中に死んでしまう動物が出ます。そうして動物を供養するのが、この石碑なのです。今の上野動物園の飼育員が花を供え、石碑を掃除しています。また、手を合わせる来園者の姿も見られます。
そして、この石碑にまつわる物語が上野動物園にはあるのです。
1941年に始まった日本とアメリカは戦争状態に突入しました。1942年には東京でアメリカ軍飛行機による空襲がありました。この時、東京都は1つの危機感を感じました。それは、空襲によって動物園に被害が及んだ際に、檻に入れている猛獣が逃げ出して、市民に危害を加えないかというものでした。実際に1936年に、上野動物園では飼育していたクロヒョウが脱走して、12時間後に捕獲されるという事件が発生したことがありました。
この時、クロヒョウ一頭でも東京が混乱しました。それが、複数頭に及んだ場合、東京がパニックに陥ってしまうことを恐れたのです。
そのため、東京都は上野動物園にある計画を立てさせました。それは、「動物園非常処置要綱」と言われるものでした。
そして、1943年、東京への空襲の危険が高まってくると、東京都はこの「動物園非常処置要綱」に基づく計画を実行するように上野動物園に命令をしました。それは、上野動物園で働く人達にとっては非常に辛く、耐えられない出来事でした。
この時、上野動物園では何が行われたのでしょうか。