国分寺市 恋ヶ窪

恋ヶ窪の悲恋

出陣した恋人の帰りを待つ女は、偽りの訃報を聞いて…

恋ヶ窪の悲恋

(話し手)落語家 三遊亭遊かりさん

三遊亭遊かり

話し手は、女性噺家、三遊亭遊かりさんです。艶のある声は生まれ持った賜物。噺家になる前に経験した10年の様々な人生経験が肥しとなって、遊かりさんのお話しは、心の奥底に響きます。生まれ持ってのまさに話し家、噺家、三遊亭遊かりさんです。

東京都国分寺市に恋ヶ窪という地名があります。恋という字がついているためロマンチックなお話が伝わっているのか思ったらそうではありません。伝わっているのは、悲しい恋の物語です。 1180年ころ、この恋ヶ窪のあたりに夙妻大夫という大変な美人が住んでいました。そして、夙妻大夫のもとには、一人の武士が通っていました。武士の名は、畠山重忠と言いました。畠山重忠は、関東の武士たちの中でも名門に位置する畠山家の若き当主でした。 当時、武士は2つの大きな勢力に別れて戦っていました。2つの大きな勢力とは、源氏と平家でした。畠山重忠は、源氏側の若き有力武将として、源氏の棟梁である源頼朝に従っていました。 そして、武蔵の国の領地(現在の埼玉県深谷市)と源頼朝がいる鎌倉の間を何度も行き来していました。国分寺は、その武蔵国と鎌倉を結ぶ重要な街道・鎌倉街道にありました。 畠山重忠は、領地と鎌倉の行き来の途中、必ず夙妻大夫の許を訪れていました。 1183年、ついに源氏と平家は一大決戦に臨むことになりました。鎌倉から源氏の大軍が京都に向けて出陣しました。知勇兼備の名将と讃えられた畠山重忠も、源氏の武将として遠征することになりました。 畠山重忠は、出陣することを夙妻大夫に告げました。戦に出れば、畠山重忠がいかに名将であったとしても生きて帰れる保証はありません。それでも、畠山重忠は、夙妻大夫に必ず戦いに勝って、生きて返ってくると約束して、出陣していきました。 この源氏と平家の戦いは、1185年に平家が長門国(現在の山口県)の壇ノ浦で負けて滅亡するまで2年に渡る戦いになりました。今と違って、なかなかお互いに連絡手段がない昔のことですから、夙妻大夫は畠山重忠がどこで戦い、生きているのか死んでいるのかなど全くわかりませんでした。ただ、生きて帰るというあてのない約束を信じて、畠山重忠の帰りを、今日なのか明日かも知れないと思って待ちわびていたのです。 そこに夙妻大夫を妻にしたいと考える男が現れました。男は何度も夙妻大夫に結婚を承諾させようと言い寄りますが、夙妻大夫は畠山重忠を待つという想いでいましたので、男の申し出を断り続けました。 そこで、この男は一計を案じて、夙妻大夫に畠山重忠を諦めさせようとしましたが……。 夙妻大夫の身に何か起こったのでしょうか。そして、畠山重忠は約束を果たしたのでしょうか。二人の恋の結末はいかに。      

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