世田谷区 豪徳寺
招き猫の寺 豪徳寺
有名な「招き猫」の由来・・
(話し手)落語家 桂竹千代さん
話し手は、日本の古代史にめっぽう詳しい噺家、桂竹千代さんです。なんと大学院で古代文学を勉強した異色の噺家。 噺家の誰よりも歴史を実直に学んだ桂竹千代の語り口は、庶民の人情を伝える際にも、偉人の物語を伝える際にも、知識に裏打ちされた自信を感じさせる。
招き猫というキャラクターをご存知ですか。
右手か左手を上にあげて、人を招くような仕草をしている猫のキャラクターのことを招き猫と呼びます。
この招き猫を飾ると、幸せを呼ぶとか金運や財産を招くと言われています。食堂や居酒屋などに行くと飾っているお店もよく見かけます。
この招き猫ですが、日本の有名な武士と関係があるのです。
その有名な武士とは、井伊直孝という武将です。
井伊直孝は、徳川家康に従った武将でした。この井伊家の軍隊はある特徴がありました。それは、大将である井伊直孝以下全ての兵が、甲冑の色を赤に統一していました。これは、赤備と言われ、最も強い軍勢のだけ着用が許されていたのです。
赤一色の軍団は、戦場で遠くからでも目立ちます。そのため、赤備えの軍勢が押されたり、負けたりすれば、すぐにわかってしまうのです。ですから、戦いでは常に勝つことが求められる立場でした。
また、赤色はけがをしても目立ちません。そのため、けがをしていても味方からは戦いを求められる過酷な存在でした。井伊家の武士たちは、井伊直孝以下命をかけて戦い続けてきました。
井伊家の軍団は、その勇猛さから「赤鬼」といわれ、敵からは恐れられ、味方からは頼りに
されました。こうして戦いを続けた結果、井伊直孝は徳川家の武将の中で最も多くの領地を与えられ、近江(現在の滋賀県)の彦根に城を構える彦根藩の殿様となったのです。
その井伊直孝は、戦が終わり平和な世の中になっても常に訓練を怠りませんでした。ある日、訓練の一環として行う狩りに井伊直孝は出かけました。その帰り道で急に激しい雨が降ってきました。そこで、井伊直孝は雨を避けることができる場所を探しました。
すると、枝が太く多くの葉を茂らせた大きな木がありました。その木があったのは豪徳寺というお寺でした。この木の下で雨を凌いでいると、井伊直孝の目の前に何やら動物が姿を現しました。井伊直孝がじっくりと見ていると、その動物は猫でした。一匹の猫が、雨が降る中で、井伊直孝に向けて手招きをしているような仕草をしているのです。
井伊直孝もこの不思議な猫に興味を抱きました。井伊直孝は少し猫に近づきましたが、猫は逃げるような気配をみせませんでした。さらに興味を抱いた井伊直孝は、さらに不思議な猫に近づきました。既に木の枝の陰からは離れ、井伊直孝は雨に濡れてしまう場所まで出ていました。でも、井伊直孝はそんなことを気にせずに猫に近づいていきました。
すると……。井伊直孝の身に起こったこととは。そして、猫が井伊直孝を招いたわけとは。
招き猫の由来となったお話しです。ぜひご覧ください。