中央区日本橋 富沢町

日本橋富沢町の由来 古着商 鳶沢甚内

古着屋たちは協力して盗賊を捕え、町の治安を守っていた

日本橋富沢町の由来 古着商 鳶沢甚内

(話し手)落語家 三遊亭遊かりさん

三遊亭遊かり

話し手は、女性噺家、三遊亭遊かりさんです。艶のある声は生まれ持った賜物。噺家になる前に経験した10年の様々な人生経験が肥しとなって、遊かりさんのお話しは、心の奥底に響きます。生まれ持ってのまさに話し家、噺家、三遊亭遊かりさんです。

東京都中央区日本橋富沢町。周囲には日本橋浜町や人形町などとともに江戸情緒を感じさせる風情が残る街です。日本橋富沢町には、繊維業を営む会社が多くあります。実は、繊維業の会社が多いのには理由があります。  1600年ころに現在の日本橋富沢町には、多くの古着屋が集まっていました。当時は新しい着物を買える人は裕福な人でした。今のユニクロなどのように既製品の服を大量に扱うような店がなかったので、新しい服は自分のために最初から作ってもらうことが多かったからです。そのため、江戸の庶民は古着を買って、済ませていました。そうした古着を扱う店が何軒も集まったことから、日本橋富沢町は多くの人でにぎわったそうです。  この古着商のリーダーは、鳶沢甚内という人物でした。鳶沢甚内は、もともとは北条家に仕えていた武士でした。北条家は、徳川家康が関東を領地にする前に関東地方を治めていた大名でした。しかし、徳川家康の前の権力者であった豊臣秀吉と戦って破れ、滅亡してしまったのです。  仕える家を失った北条家の武士たちは、たちまち生活に困りました。戦があれば、再び戦いに出て、どこかに大名の家臣として生活することができます。しかし、徳川家康によって平和な世の中になり、戦はほとんどなくなったのです。そうすると、戦に出て活躍することで生活していた武士は仕事を失い、生活に困ります。鳶沢甚内は、そうした生活に困った北条家に仕えた武士たちをまとめ、江戸の町で盗賊を働かせていました。  ある日、鳶沢甚内は役人に捕まってしまいました。これまでの被害を考えると、死刑は間違いありません。死刑が迫ると、命だけは助けてくれと言って助かろうとする犯罪者も多いのですが、鳶沢甚内は堂々としていました。その態度に感心した徳川家康は、鳶沢甚内と直接会う機会を作りました。  鳶沢甚内を殺すには惜しいと考えた徳川家康は、鳶沢甚内を助けようと考えました。そこで、治安を守るために協力するならば、命は助けるという条件を出しました。鳶沢甚内も、本当は盗賊稼業など続けたくなかったため、自分を慕ってついてきている北条家の武士たちも助けてくれるなら協力すると言いました。そして、鳶沢甚内は、ある提案を徳川家康にしました。徳川家康もその申し出を認めました。こうして、鳶沢甚内は徳川家康の協力するようになったのです。 鳶沢甚内が申し出た提案とはいったい何だったのでしょうか。そして、その提案の意味とは。 日本橋富沢町の由来、ぜひお楽しみください。        

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