葛飾区 南蔵院

しばられ地蔵

泥棒を見逃した罪でお地蔵様が縛られて裁かれる??

しばられ地蔵

(話し手)落語家 三遊亭遊かりさん

三遊亭遊かり

話し手は、女性噺家、三遊亭遊かりさんです。艶のある声は生まれ持った賜物。噺家になる前に経験した10年の様々な人生経験が肥しとなって、遊かりさんのお話しは、心の奥底に響きます。生まれ持ってのまさに話し家、噺家、三遊亭遊かりさんです。

江戸時代の名奉行(名裁判官)として有名な人物に大岡忠相がいます。1717年に江戸町奉行に就任しました。江戸町奉行とは、江戸の町の行政や司法を担当する役職でした。現在で例えると、東京都知事と警視総監、さらに東京地方裁判所の裁判官を兼ねているような役職です。  江戸町奉行は、月ごとの交代制(月番制)でした。北町奉行と南町奉行の2つの奉行所があり、月ごとに交代して職務に当たったのです。  大岡忠相は、南町奉行所を束ねました。大岡忠相の裁判官のとしての評判はとても良かったと伝わっています。そうした大岡忠相の人気は高く、大岡越前守忠相の名裁きとして本や講談で人気になった「大岡政談」が作られました。ここには、いくつものお裁き(裁判)の逸話が載っています。  その一例を紹介しましょう。 あるところに、幼い子供がいました。その子には、「自分が母親だ」という女が2人いました。女はどちらも子どもを譲ろうとせず、最後には南町奉行所にどちらが本当の母親であるか裁いてくださいと訴えてきました。  大岡忠相は二人の女と子供を奉行所に呼びました。大岡忠相は二人の女に「その子の手を一本ずつ持って引っ張りあいなさい。この引っ張り合いで勝った方を母親として認める」と提案したのです。  二人の女は言われた通り、子供の手を取って力いっぱい引っ張り合いました。子どもは当然痛がって泣きました。この泣き声を聞いて、一人の女が手を放します。もう1人の女は喜んで「自分が母親だ」と言いました。すると 「いや、手を放したほうが母親である。本当の母親ならば、子どもが痛がっている行為を続けられるものではない」として、手を放した女の方を母親だとした裁判があります。  こうした大岡忠相の名裁きの1つから生まれたのが「縛られ地蔵」です。弥五郎という男が、ある店の商品である反物を運んでいましたが、現在の東京都葛飾区にある南蔵院の地蔵の前に来た時に疲れて一休みしたところ、そのまま眠ってしまいました。弥五郎が目覚めると反物が全て盗まれてしまっていたのです。弥五郎は店に帰って相談すると、賠償を求められます。困った弥五郎は、大岡忠相に相談しようと南町奉行所に行きました。  大岡忠相は「盗みを見ながら何もしなかった地蔵を捕まえてこい」と部下に命じました。こうして南町奉行所に地蔵は連行され、奇妙なお裁きが始まります。    大岡忠相の意図とは一体何だったのでしょうか。      

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